コロナウイルスで自粛の日々
コロナウイルスが流行している今日この頃。
特発性血小板減少性紫斑病(ITP)の治療のためにプレドニゾロンを内服している身としては、コロナウイルスの感染が気になります。
プレドニゾロンは免疫抑制剤と呼ばれる薬剤です。ITPのように自分の体の中にある免疫機能が過剰反応して病気を発症させている場合、免疫抑制剤を服用することで免疫機能を低下させ病状を落ち着かせることができますが、それと同時に健康な時であれば防げていた感染症に罹りやすくなってしまうという副作用もあります。
これを易感染(いかんせん)と呼び、プレドニゾロンを服用する際にも特に気を付けるよう説明を受けます。
私は現在、仕事を休職して病院の受診や日用品の買い物以外は外出しないようにしていますが、外部との接触をゼロにするのは難しいです。特に家族との接触は避けられません。
血液内科の主治医からは「旦那さんはリモートワークになった?」と、受診する度に聞かれますがリモートワークが難しい職種で未だに通常営業しているため、聞かれる度に夫の会社のブラックっぷりを披露することになり悲しいやら情けないやらという気持ちになります。
今は夫婦共々なるべく外出は避け、手洗いうがいをこまめに行うようにしています。
予定日も近付いてきたので、このまま何事もなくお産までの日々を過ごせるよう自分達でできることをやっていこうと思います。
「敏感期」を知れば子供の思考がわかる
モンテッソーリ教育では子供の「敏感期」に合わせた教育を行うことを推奨しています。
一見、大人からすると子供が一心不乱にイタズラをしているように見える行動も、「敏感期」に照らし合わせてみると子供が自分の身体の動かし方や世の中の仕組みを理解しようとしていることがわかります。
「子供がなぜその行動をするのか」が理解できれば、子供のイタズラに大人がイライラすることもなくなるし、大人の都合で子供の成長機会を奪うこともなくなるので、子育てにとってこれほど有益な情報はないのではないでしょうか。
今回の記事では、以下の2冊の本を参考に子供の「敏感期」について紹介したいと思います。
お母さんの「敏感期」 モンテッソーリ教育は子を育てる、親を育てる 相良敦子
0~3歳までの実践版 モンテッソーリ教育で才能をぐんぐん伸ばす! 藤崎達宏
「敏感期」とは?
幼児期の子どもには、一生に一回きりの特別に敏感な感受性を発揮する「敏感期」という時期が訪れます。この「敏感期」になると、子どもは、環境から必要なものを吸収し、自分を創っていきます。その子どもの特別な感受性は、大人になるとなくなるので、大人にはしばしば理解できない奇妙な行動として目に映ります。
敏感期はすべての生き物にある特別な期間で、人間にとっても例外ではありません。人間の敏感期は幼少期の限られた期間で、世の中を理解するため、そして自分自身の身体を理解するための重要な時間なのです。
この限られた期間をどのような環境で過ごしたかによって、その後の子供の自己肯定感や積極性が変わってきます。自分を信じて新しいことにチャレンジしていく力、そういう力を養うのが敏感期だと思うと、親としてその期間にどんな環境を与えるのか、責任重大ですよね。
0~1歳の間にやってくる「秩序の敏感期」
0~1歳といえばまだ言葉もままならず意思疎通が難しい時期と思います。そんな時期に毎日毎日子供がなぜ泣いているのかわからない状況が続いたら、大人も泣きたくなっちゃいますよね。まだ子育てが始まっていない私ですら、想像しただけで思わず子供を放り投げて逃げ出したくなりそうです。
子供は泣くことで意思表示をしているので、まったく泣かせないまま子育てすることはできませんが、なぜ子供が泣いているのか1つでも理由がわかればお世話をする大人の心のゆとりにつながるのではないでしょうか。
赤ちゃんは世の中のことを何も知らずに生まれてきます。ですから、生まれて間もなくから、世の中の状況、ルールをものすごい勢いで「秩序」として吸収していきます。その吸収の仕方は、私ども大人がするような意識的な記憶の仕方とはまったく違う、「無意識的記憶」という方法です。それはあたかも、スチールカメラで一瞬にして映像にして焼きつけるような記憶の仕方です。無意識のうちにドンドン、際限なく吸収できる素晴らしい能力なのです。
しかし、映像で焼きつけるように吸収するので、その位置や順番、方法が違うだけで、赤ちゃんは許せないくらいの不快感を覚えるのです。
『0~3歳までの実践版 モンテッソーリ教育で才能をぐんぐん伸ばす!』p.59
赤ちゃんといえど、生まれた直後から自分が置かれた世界の状況を秩序として理解しようとしているなんて驚きですね。
赤ちゃんも日々身の回りの環境を理解しようと努めているんだ、と事前に知っていれば、その環境をなるべく変えないよう大人の方で気を付けることができます。
秩序の敏感期は、生まれて間もなく始まり、2歳をピークにして、3歳頃まで続くそうなので、我が家ではその間はなるべく部屋の模様替えをしないで済むよう子供が産まれる前に子供が過ごしやすいレイアウトに変更しておく、子供のお世話の手順(着替えやおむつ替え)を夫と統一することにしました。
「運動の敏感期」を知れば、子供のイタズラが成長の瞬間に変わる
運動と聞くとつい「将来アスリートにするための英才教育?」なんて思ってしまいますが、ここでいう運動とは手を使って物をつかんだり、ひねったりという動作一般のことを指しています。
運動の敏感期にいる子供は一つの動作を繰り返し繰り返し行い、その動きを自分の中で洗練させ習得するよう努めます。ただ、その動作というのが「ティッシュペーパーを箱から全部出してしまう」「リモコンやエレベーターのボタンを全部押したがる」「ソファやベッドの上で飛び跳ねる」というやり方なので、大人から見ると「イタズラしている」「落ち着きがない」と見えてしまいます。
この時、大人が運動の敏感期というものの存在を知っていれば、この子は今敏感期にいるんだ。動作を習得させるためだったらティッシュ1箱はこの子のために使おう。とか、このリモコンはイタズラされると困るから代わりに使っていないリモコンをあげよう。といった風に子供の敏感期に合わせた環境を作ることができるようになります。
もし、敏感期を知らなければ大人は来る日も来る日も子供のイタズラを止め、叱らなくてはいけないですし、子供としてもその動作を習得したいという欲求があるので、思う存分運動したいのに大人に取り上げられてしまうというフラストレーションをためていくことになります。
モンテッソーリ教育では、子供が今どんな敏感期にいるのかしっかり観察し、その動作を安全に心ゆくまで行える環境を作ることが重要とされています。
『0~3歳までの実践版 モンテッソーリ教育で才能をぐんぐん伸ばす!』では、運動の敏感期の中でも「歩くこと」を特に重要視しています。
「人間は脳が発達したので、手が使えるようになった」と思っている方が多いようですが、それは逆です。手を使うことで脳が発達したのです。
「わが子の頭を良くしたい!」と、親であればだれもが思うことですが、その答えは、手指をたくさん使わせることにあったのです。
手指を使っている瞬間に、わが子の脳は一番活性化し、脳神経細胞の繋がりが飛躍的に発達します。そして、その手指が自由に使えるためには、しっかりした体幹で立ち上がる必要があるのです。そして、その体幹は歩くことによって育つのです。
『0~3歳までの実践版 モンテッソーリ教育で才能をぐんぐん伸ばす!』p.122
多くの場合、大人にとって歩くのは移動のための「手段」の一つにすぎませんが、子供にとっては歩くことそのものが「目的」なのです。
自分の足で歩き、気になるものを見つけたらしゃがんで拾い上げ、自分の力で高いところに登ってみる。そのすべてが運動の敏感期に子供の内側からあふれる欲求です。
子供のためを思うなら、遠くのレジャーランドに連れて行ってベビーカーに乗せたまま連れ回すよりも、近所の公園で子供が自由に歩き回るのを時間の許す限り見守り続ける方が子供の成長につながるのです。
大人目線だとつい「休みの日くらいディズニーに連れて行ってあげた方が楽しいし思い出になるよね」等と考えてしまいがちですが、子供にとっては近所の公園で自分の好奇心の赴くままに歩き回る方が楽しいのですね。公園をただただ歩き回るのは大人にとってはなかなか苦痛ですが、子供の成長につながっているんだと考えて、運動の敏感期の欲求を少しでも満たしてあげたいなと思います。
まとめ
子供の成長とともに必ずやってくる「敏感期」を知っているのと知らないのでは、子供の成長にとっても、大人の精神衛生においてもまったく違ってくるのではないでしょうか。
私は子育てについて「いつも子供のイタズラやわがままにイライラしている」というネガティブなイメージがついていたのですが、モンテッソーリ教育を通して敏感期の存在を知ることができ、イタズラやわがままと思っていたものをポジティブに受け止められるかもな、と思えるようになりました。
実際に子育てが始まったら、そんな甘っちょろいことも言ってられないのかもしれませんが、モンテッソーリ教育の教えを通して少しでも心の余裕が持てたらいいなと思っています。
自宅ではじめられるモンテッソーリ教育の情報が盛りだくさん!『0~3歳までの実践版 モンテッソーリ教育で才能をぐんぐん伸ばす!』
私は今回はじめての妊娠で、今まで周りに小さい子供がいたこともなかったので、赤ちゃんがいる生活というのはまさに未知の世界です。
なのに急な病気による入院とコロナウイルスの流行で、申し込んでいた母親学級は軒並みキャンセル、退院した頃には外出もままならないような状況になってしまいました。
さすがに、このまま右も左もわからないまま子供を産むのはまずいのでは?!と妊娠9ヵ月にして危機感を覚え、それから育児本を読むようになりました。
ですが、情報が溢れるほどある昨今。育児本もネットで検索すると星の数ほどあり、そのすべてを実践しようと思ったらパンクしてしまいそう…
と、いうことで読んでみて「これなら私でもできそう!」「こういう育児だったら挑戦してみたい」と思えたものを備忘録を兼ねて紹介したいと思います。
今回の記事で紹介するのはこちらの本です。
『0~3歳までの実践版 モンテッソーリ教育で才能をぐんぐん伸ばす!』藤崎達宏
この本を読んで勉強になったところ、実践してみたいと思ったところ
- モンテッソーリ教育は0歳から子供の自己選択を促し尊重しているところが、子供自身の考える力を伸ばせそうだと思った。
- 同じ動作や遊びを繰り返すことは、子供の成長にとって重要なこと。しかし、大人から見るとイタズラを繰り返しているように見えてしまう。動作の繰り返しの重要性を事前に知ることで、大人はおおらかな気持ちで子供の成長を見守ることができる。
- 大人から見て良かれと思うことが、必ずしも子供のためになるとは限らない。大人の自己満足で子供の成長の芽を潰さないよう、子供の興味・関心を観察し見守ることが一番の教育になる。
モンテッソーリ教育のコンセプト
どんな時代になっても「一人で生きていく本当の力」を、自分で獲得できるように、親は見守ろう。そして、一人でできるように手伝ってあげよう。
これがモンテッソーリ教育の子育てです。(p.4-5)
モンテッソーリ教育では、子供は「親の助けがなければ何もできない存在」ではなく、「すべてのことができるけど、物理的にできない状況下にあるか、やり方をまだ知らないだけ」という前提のもとに考えられています。
大人が子供に対してやるべきことは、子供が一人で生きていく力を身につけられるよう成長段階に合わせた環境を用意することであり、モンテッソーリ教育には成長段階ごとに子供がどんなことを学びたがっているのかという知識や、子供の学びの要求に合わせた環境の整え方のコツが詰まっています。
私は子供に「自分のことは自分でできる子」「自分がやりたいこと、好きなことに積極的に挑戦できる子」になってほしいな、と漠然と考えていたので、モンテッソーリ教育の子供の可能性を信じるというスタンスに共感し、こういう教育をやってみたいと思うようになりました。
子供の「成長のサイクル」と親の関わり方
知っておきたい成長のサイクル(p.34-35)
- まず、子どもは今置かれている環境の中を興味・関心を持って散策します。
- そして、今の自分を成長させてくれる活動を自分で選択します。
- その活動に集中して繰り返します(集中現象)。
- 上達することにより、満足感と達成感を得ます。
- 活動がドンドン上手になり、生きていくのに必要な能力を習得します。
- この一連のプロセスを経ることで「自分でできた」という自己肯定感の芽が育ちます。
モンテッソーリ教育では、0歳から子供に自己選択をさせることを推奨しています。大人から見るとつい「こっちの方が簡単だよ」とか「子供にはまだわからないから、こちらで選んであげよう」といった気持ちが働いてしまいそうですが、子供にも意思があり「こうしてみたい」という欲求があります。そういった子供の気持ちを大切にし、自発的な活動を実行できる環境を提供することで、子供の自己肯定感を育てていきます。
「危ないから片づけてあげよう」「これはもう何回もやっているから代わりの活動をやらせてあげよう」「一人でやっているから、一緒にやってあげよう」「おそらくできないだろうから代わりにやってあげよう」……。
わが子のために「〇〇してあげよう!」、その思いが、実はわが子の成長を一番邪魔していたのです。
特に、子どもの欲求によく気がついてしまう「良いお母さん」は要注意です。子どもが活動する前に、その気配を察して、「これがほしかったのね!」「今度はこれがいいかな?」と、ドンドン先まわりをしてしまいます。
この習慣を続けていくと、最後は自分で選べない「指示待ち」の子どもになってしまいます。(p.41-42)
「自分のことは自分でできるようになってほしい」と言いながら、上記の間違った成長のサイクルで紹介されていた『わが子によかれと思って親がする行動』で紹介されていた例を読んで、ドキッとしてしまいました。私、こういうことやってしまいそうだな…と。
「子どもの行動・選択を見守る」と、口で言うのは簡単だけど、いざ子育てが始まったらつい先回りした行動をとってしまいそう。それをぐっと我慢することが大切、と子育てが始まる前に知ることができてよかったです。
まとめ
- モンテッソーリ教育は子供が自分の成長段階に合った活動ができるよう、環境を整え見守る教育。どの活動をいつから始めていつ止めるのかは子供次第。
- 子供の集中力や自発性を尊重する一方で、大人は子供を観察し見守りに徹する必要があるので、大人の忍耐力が問われそう。
- 子供自身が選択した活動を繰り返し行い、上達することで満足感や達成感を得られるというプロセスを通して、日本人は低いと言われている自己肯定感を0歳から育てていくことができる。
モンテッソーリ教育は、子供のやりたいことを心ゆくまでやらせてあげられる一方で、それに根気強く付き合う大人には時間と精神的な余裕が必要になりそうだな、というのが私の感想です。ただ、子供が一つ一つの動作を集中しやってみたがるのは6歳までの限られた期間(そういった期間を「敏感期」と呼ぶそうです。長くなるので別の記事で紹介します。)ということなので、その期間は「子供が自分の力を伸ばしているんだ」と割り切ってとことん付き合う覚悟ができました。
私の家は共働きで、近所にモンテッソーリ教育を行っている保育園もないので、やるとすれば家庭でモンテッソーリ教育を実践していくことになりますが、この本には0歳から3歳までの子供を対象に家で簡単に始められるモンテッソーリ教育のメソッドがたくさん紹介されているので、私もこれから少しずつ挑戦してみたいと思います。
長期入院でメンタルがやられた日
入院当初、はじめての入院の割には精神状態が安定していたように思います。
どこか痛いとか辛いと言った自覚症状もなく、赤ちゃんの発育も問題なかったこと、また自分自身医療機関で働いていた経験があったので「病院ってこういうところ」という基礎知識があったこともあり、大きな不安を感じることもなく入院生活を過ごしていました。
ですが、入院して4週間が経ったある日、急に落ち込んで涙が止まらなくなることがありました。
その日は、シャワーの予約枠が満杯でお風呂に入れないことが朝から確定し、数日前からの軽いめまいで頭がクラクラし、朝からついてないな、と思っていました。
私はその時、妊娠25週になっており後3週間もすれば安定期が終わってしまうことにも少なからずショックを受けていました。1人で身軽に動ける最後の時を入院に費やしてしまったことにもったいなさを感じていたんだと思います。
そして、大部屋でお隣のベットに入っていた人が私よりも後から入院して、私よりも先に退院していくことが聞こえた瞬間、急に涙が出てきてどうしようもなく悲しくなってしまいました。
ちなみに、お隣のベットの方は私とは別の病気で、特に会話もしたことがなければ接点もなく、自分でもお隣の方を意識してきたことはなかったつもりでした。
そして、これが入院中最大のストレスだったと思うのですが、毎日病棟の掃除をしてくれているある清掃員の方に顔を合わせるたびに「まだ入院続くの?大丈夫、若いから絶対良くなるわよ」と言われるのがだんだん辛くなってきて、毎日顔を合わせないようになるべく避けて通ることに苦痛を感じるようになっていました。
そんな、ひとつずつ書き出したら本当に些細なことばかりだったのですが、入院4週目のその日、その些細な物事に心が耐えられなくなって、朝から訳もなく泣いて過ごしていました。
周りに迷惑をかけないように、顔にタオルを当てて声を押し殺して泣いていたのですが、少し落ち着いてトイレに行ったところで顔見知りの患者さんと遭遇しました。
その方は私が入院して大部屋に入った際にお隣のベットにいた方で、1週間程度で治療が終わり退院されていたのですが、また治療のためその日から入院になったそうでした。
私よりも闘病歴がずっと長くて、でもいつも朗らかで誰にでも親切で人当たりの良い方で、私もお世話になった方でした。
お久しぶりですね、なんて挨拶をしながら、私の入院が4週間経ってまだ退院の目処も立っていないことを話すと、その方は「それは精神的にも辛いでしょう、大丈夫?」と聞いてくれて、まさに精神的に大丈夫ではなくなってしまっていた私は病棟のトイレのほとんど赤の他人と言ってもいいその方の前で号泣してしまいました。
その時、その方が私にかけてくれた「私たちにはどうすることもできないものね」という言葉が、私にとって一番の慰めでした。
家族や友人や周りの人から「大丈夫、きっと良くなるよ」「頑張れ」と言われて、私自身もそう信じて入院生活を送っていたけど、心の奥底には病気に対して自分自身の努力ではどうすることもできない無力感があったのかなと思います。
その方と僅かな時間でも話をして、どうすることもできないのは私だけじゃないんだと思ったら、少し気が楽になりました。
と言っても、すぐに切り替えられるほど器用でもないので、その日は夫にお見舞いに来てもらい、今朝の悲しい気持ちを聞いてもらい、子供の名前候補を発表し合い、普段は血糖値が上がるからと我慢しているお菓子を解禁したりして、なんとか気持ちをフラットにしようと努めました。
結局、私はその後さらに2週間入院し、入院6週間目でようやく退院することができました。退院した今になって振り返っても、この日が一番精神的に辛かったと思います。
「頑張れ」とか「絶対良くなるよ」という言葉は自分のメンタルが元気な時には励ましと受け取れるけど、落ち込んでいる時には追い打ちをかける言葉だな、というのを身をもって実感しました。もちろん、言った方に悪気があるわけではないのはわかってるし、自分も逆の立場だったら言ってしまいそうだな、と思うけど。
ありがたいことに、入院中たくさんの友達から励ましの連絡をもらいましたが、その中でも本当にうれしかったのは、仕事帰りの電車から何気ない近状や笑い話を聞かせてくれたり、Twitterでしょうもないやりとりをしてくれる友達の存在でした。
「頑張れ」って言葉にしなくても、私のことを心配して励まそうとしてくれているのを感じていました。
今回の入院を通じてわかったことは、病気になった本人はどんなに表面上元気そうに見えたとしても心の中に無力感を感じている可能性があるということ。そして、そういう人を励ましたいと思うのなら、無責任な「頑張れ」よりこれまでと変わらない関係や楽しみを共有することが一番の励ましになるということでした。
長期入院は本当に大変な経験でしたが、元気だった時には気付かなかった人の優しさに触れた瞬間でもありました。今後、私の周りでも同じような状況に置かれた人がいたら、私が出会った患者さんや友達のような気遣いができるようになれたらいいなと思います。
入院時にあって便利だったもの
今回の入院は私にとって人生初の入院でした。
入院する時って何を持っていけばいいのかも全くわからず、ネットで調べて最低限のものは持っていきましたが、後から「これは便利だったな~」と気付いたものもあったので、この記事では入院時にあって便利だったグッズを紹介したいと思います。
入院時に用意した持ち物
- 下着
- Tシャツ:入院中は冬でしたが病室内は暑いので、上はTシャツ、下はパジャマくらいの軽装で十分でした。
- パジャマ(下のみ)
- フェイスタオル
- バスタオル
- 歯ブラシ
- コップ
- 羽織り物:輸血をする場合、点滴の針を腕に刺しっぱなしにするので、パーカーのような半袖の上に羽織れる前空きの服が便利でした。
- シャンプー
- ボディーソープ
- 化粧水、乳液
- 洗濯用洗剤:病院は基本コインランドリー形式です。私が入院した病院は洗濯機が古い型で洗剤や柔軟剤を分けて入れる場所がないタイプでした。ジェルボールだと柔軟剤入りで洗濯物と一緒に入れるだけでOKなので便利でした。
- 洗濯ネット
- ハンガー:大部屋の病室になると特に洗濯物や濡れたものを乾かしておく場所がなくて苦労します。ハンガーのフック部分が回るタイプがあるとテレビ台等のちょっとした凹凸部分にハンガーをかけられて便利です。
- スリッパはいりませんでした:私が入院した病院は転倒防止のためスリッパ禁止でした。私は入院時に履いていったスニーカーでずっと過ごしていました。履きやすい靴で行ってスリッパ使用OKとわかってから持ってくるのでも十分間に合うと思います。
差し入れでもらってうれしかったもの
病室は暑いくらい常に暖かいので乾燥が気になります。また、いつもと違う環境で知らず知らずのうちにストレスが溜まってくるのでリラックスできるものがあると、いい気分転換になります。
私が友達からもらってうれしかった差し入れを紹介します。自分の入院時に余裕があれば買っていくのもいいし、今後誰かのお見舞いに行く機会があればこういうものを差し入れすると喜ばれるんじゃないかなと思います。
- 蒸気でホットアイマスク
- のどぬーる濡れマスク
- フェイスパック:私は「地域限定LuLuLun伊勢」をもらいました。榊エキス配合で香りもさわやかで、とっても癒されました!)
やっておけばよかったと思ったこと
持ち物ではないのですが、お風呂に入ってから病院に来ればよかったと後悔しました。
特発性血小板減少性紫斑病は転倒した時のリスクが高いということで、血小板の数値が改善するまでお風呂には入れませんでした。また、数値が改善した後も病院にはシャワーしかなく、決められた時間の中で済ませなければいけないのでゆっくりお風呂に入る時間はありません。
入院中はずっと「自分の家のお風呂にゆっくり入りたい~!」と願い続けていました。
入院後に申請した医療制度
入院ってとにかくお金がかかります。
私は1ヶ月半入院しましたが、最初の半月分の請求額を見た時「3割負担でもこんなに医療費がかかるの?!」とびっくりしてしまいました。
ですが、入院中に利用できそうな医療制度を調べて申請しておいたお陰で費用はだいぶ抑えられたし、承認までに時間がかかるものについても早めに申請したおかげで後から償還払いを受けられることになりました。
ということで、この記事では私が実際に利用した制度についてご紹介します。
高額療養費制度
1ヶ月の医療費が高額になる場合、加入している社会保険に申請すると、毎月の医療費の自己負担額が所得額に応じて一定額で打ち止めになる制度です。
私は入院してから加入している社会保険のホームページで申請書をダウンロードし、郵送で申請しました。
申請から1週間程度で高額療養費の証明証(保険証とセットで使用する)が届き、病院に提出できたので入院費を抑えることができました。
もし、急な入院で申請が間に合わなかった場合でも、後から高額療養費制度が適用され払い過ぎた金額は戻ってくるみたいです。
私の場合もし普通に支払っていたら入院した最初の月の支払いが26万円くらいになる予定だったところが、高額療養費制度のお陰で10万円程度に抑えられたので、すごく助かりました。
難病医療費助成制度
特発性血小板減少性紫斑病は指定難病となっているため、難病医療費助成制度が申請できます。
私の場合は、主治医の先生から難病に該当する旨の説明と診断書をいただき、なるべく早く申請して下さいと説明がありました。
難病医療費助成制度は該当の疾患の治療費を助成してくれる制度ですが、制度を使用できるのは診断された日からではなく、申請した日からになるそうです。
なので、指定難病であることが確定したらなるべく早く手続きをしたほうが、自己負担額を抑えられてお得になるようです。
私は東京都に住んでいるので、住所がある区の保健所で手続きをしました。申請窓口は市町村によって異なるようなので、ご自身のお住まいの地域では窓口がどこになるか確認が必要です。
申請に必要な書類は以下の通りでしたが、国民健康保険に加入している場合、代理申請してもらう場合には他にも必要な書類が必要なようなので、窓口に行く前に一度電話で必要書類を確認した方がいいと思います。
私もホームページを確認した後に電話でも確認したら、必要書類が若干違っていてちょっと混乱しました…。
難病医療費助成制度の申請に必要な書類
- 臨床調査個人票(病院の先生が記載してくれる診断書)
- マイナンバーがわかるもの(私はマイナンバー通知カードを持っていきました)
- 健康保険証
- 印鑑
- 特定医療費の支給認定申請書(これは保健所の窓口で記載するので事前の準備は必要なし。難病に該当する疾患の治療を受ける病院名と住所を記載するので、それだけ控えて行けばOK)
なお、難病医療費助成制度は申請してから承認されるまで3ヶ月程度時間がかかるそうです。1年ごとの更新になるので、来年また臨床調査個人票を医師に記載してもらい保健所に提出する必要があります。
心身障害者福祉手当
これは私が住んでいる区で行っている制度ですが、心身に一定の障害があると認められた人に毎月一定額の手当が支給されます。ちなみに難病患者は月12,000円支給されるそうです。
保健所に難病医療費助成制度の問い合わせを行った際に担当窓口の方が「こういう制度があるのをご存じですか?」と教えてくださり、併せて手続きに行くことができました。(手続き自体は区役所で行いました。)
お住いの市町村でも同じような手当があるか確認してみるとよいかもしれません。
難病医療費助成制度と心身障害者福祉手当については、保健所及び区役所の窓口で手続きを行う必要がありますが、2つ合わせても1時間以内ですべての手続きが終了したので事前準備さえしておけばスムーズに手続きできるという印象でした。
私は入院中に半日だけ外出許可をもらい自分で手続きに行きました。
家族に代理申請を依頼する場合でも委任状が必要とのことなので、自分で申請する余裕があれば自分で行った方が簡単なのかなと思いました。
妊娠中に突発性血小板減少性紫斑病と診断されて②(診断から入院まで)
大学病院に搬送されると、すぐに救急外来に案内されました。
紹介状を記載してもらった皮膚科に事前にかかりつけの産院を知らせていたこともあり、大学病院の方で産院からこれまでの検査結果なども取り寄せてくれていました。
再度血液検査を行ったところ、血小板は1000まで低下していました。昨日の朝には8000はあったはずでは?と、自分でもびっくり。凄い勢いで自分の血小板が減少していることを知りました。
血小板が減少する原因は大きく分けて2つあるそうです。
- 骨髄内で血小板が作られなくなっている。
- 骨髄内で血小板は作られているけど、何かの原因で血小板が壊されている。
私の場合、2ヶ月前の定期検診時には血小板の数値に異常がなかったため、おそらく2つ目の理由が該当するのではないか、ということでした。
妊娠中は抗体の活動が活発になるそうなのですが、私の場合活発になり過ぎて自分の血小板まで攻撃して破壊してしまっている可能性が高いということでした。(こういうのを自己抗体性と呼ぶそうです。)
本来であれば、骨髄検査を行い原因を特定してから治療を行うのですが、妊婦に骨髄検査は負担が大きいため、とりあえずこれだろうという当たりをつけて治療を開始することになりました。
まずは低くなり過ぎてしまった血小板を輸血で補いながら、プレドニゾロンを投与して抗体の動きを抑え、血小板を増やすことになりました。
プレドニゾロンは妊娠中でも胎児への影響が比較的少ないということで、まずはこの薬剤で治療を行うことになりました。
ただ、後から本で読んで知ったことですが、プレドニゾロンも胎児への影響が全くないわけではなく口唇口蓋裂など奇形の副作用が発現する可能性があるそうです。私の場合は妊娠週数がすでに21週に入っており、胎児の身体が出来上がっている時期だったこともあり安心して使用できたのかなと思います。
血小板が低下している時に一番怖いことは、脳出血など体内で出血が起こり止血ができないまま大量出血に至ることだそうです。
入院当日から「とにかく転倒に気をつけて」と言われ、病棟から外出禁止、入浴も禁止と言われました。
血液内科の検査が一通り終わったところで、産婦人科の検査を行ってもらいました。
エコー検査で子宮の様子を確認してもらい、子宮周りに出血がないこと、胎児は問題なく元気にしていることがわかりました。
お腹の赤ちゃんが前回の検診時同様、元気に動いているのを見て安心と不安で一気に涙が溢れてきました。
産婦人科の先生から「赤ちゃんは元気だから心配ないよ」と言ってエコー写真を4枚もらいました。
この時のエコー写真は入院中、不安で心が折れそうになった夜に、何度も見返しては元気をもらいました。
赤ちゃんのためにも早く元気にならなきゃ、と励ましてくれた宝物です。
一通りの検査を終え病状がわかったところで、病室に案内されました。
この日、入院した病院では大部屋のベッドが空いておらず、そこになんとか無理矢理入院させてもらったため、入院初日のみ東京の夜景が一望できる個室の無菌室に入れてもらえることになりました。
立派すぎる個室でようやく一息ついて、なんだかとんでもないことになってしまったな、という困惑と不安を抱えながら私の闘病生活は幕を開けました。