かみつれの闘病・育児ブログ

待望の第一子妊娠!と思ったら、特発性血小板減少性紫斑病(ITP)になっちゃった!そんな私の闘病や育児の記録。同じ病気の方の参考になれば幸いです。

特発性血小板減少性紫斑病でも授乳はできる?

妊娠中にITPと診断されてから、ずっと気にしているのは「無事に出産できるのか」と「出産後授乳はできるのか」という2点です。

 

現在、私はプレドニゾロンによる治療を継続していて、血小板の数値は20万代と安定しています。このくらいの数値であれば、自然分娩での不測の出血による命の危険もないので、自然分娩でも問題ないだろうと言われており、帝王切開は回避できそうな見込みです。

病気や年齢のこともあり、もしかしたら出産はこの一回きりになるかもしれないな、と思っていたので、母子ともに危険がなければ自然分娩を経験してみたいなと希望していた私にとっては、うれしいことでした。

 

ただ、「出産後授乳はできるのか」というのは、結構難しいそうで今でも主治医の先生と調整を進めているところです。

現在、治療で使用しているプレドニゾロンは赤ちゃんへの副作用の影響が少なく、妊婦でも比較的安心して使用できる薬ということですが、やはり母体が薬を服用している限り母乳にもその成分が含まれてしまうそうです。

母乳を介してプレドニゾロンの成分が赤ちゃんに投与されてしまうと、赤ちゃん自身も血小板の数値が下がるなど影響が出るため、母乳哺育をするには母親に投与されるプレドニゾロンの用量をかなり下げなければいけないそうです。

現在、私はプレドニゾロンを一日10mg服用していますが、安全に母乳哺育ができるかはまだ微妙なところで、連休明けの定期診察で主治医の先生と再度話し合う必要がありそうです。

 

母乳とミルク、それぞれメリット・デメリットがあると聞いているので、私は混合哺育を希望したいと思っています。

母乳のメリットとして抗体が付きやすいという点が挙げられますが、助産師さんに聞いたところお母さんが抱っこすることで皮膚を介して抗体をつけることも可能なので、ミルク哺育だと体が極端に弱くなるという心配はないそうです。

また、これは我が家の話ですが両家の母親に聞いたところ、私も夫もミルク哺育で育ったらしく、「ミルクでも子供は大きくなるわよ!」と言われました。

上記の助産師さんや母親の話を聞いて、私の中の不安要素はだいぶ減ったように感じています。まずは、安全に出産することを最優先に考えて、大丈夫そうだったら初乳だけでもあげられたらいいなと思っています。

 

ミルク哺育の準備のために、こちらのセットを購入しました。アカチャンホンポより、Amazonの方が若干安くて、可愛い箱もついていたのでラッキーでした。

  

眠気に勝てない…

前回のブログからしばらく間が空いてしまいました。

 

先月末に無事に臨月に入ったのですが、ちょうどその頃から毎日の眠気が尋常ではなく寝ても寝てもまだ眠たくて、一日中ぼーっとしていました。

コロナウイルスの影響で夫の会社が休業になり、それまでは夫の起床時間に合わせて起きていたのですがそれも必要なくなり、ますます眠気に拍車がかかったように思います。

一日12時間くらい寝るのもざらで、それだけ寝ても頭がすっきりするのは夜の3-4時間だけ、という毎日でブログはおろか食べて寝るのがやっと、という日々です。

 

幸い、赤ちゃんを迎える準備は最低限は終わっていたので、それほど急いでやらなければならないこともなく、のんびりできるのも今だけ、と割り切って寝たいだけ寝るようにしています。

かかりつけの病院の助産師さんからも「赤ちゃんが生まれるとどうしても夜中起きなきゃいけなくて眠りが浅くなる傾向があるので、今は寝れるだけ寝てください」と言われたので、今はそういう時期なんだと自分に言い聞かせています。

 

出産までの残り僅かな日々、幸か不幸か夫も仕事が休業になり、新婚旅行以来5年ぶりに2人で長期間一緒にお休みできるチャンスを得られたので夫との時間を満喫したいと思っています。

【手作りモンテッソーリ教具】キャンディ・スティック

モンテッソーリ教育で使用するおもちゃを「教具」と呼びます。

今回は0歳から使えて作り方も簡単なキャンディ・スティックを手作りしてみました。

ちなみに、キャンディ・スティックはキャンディ・ラトル、にぎにぎキャンディ等、ほかの呼び方もある様ですが、基本的には同じもののようです。

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準備する物

  • 布(大きさは後述)
  • 中に詰める物(綿、ポップコーン、小豆など。その他プチプチなんかもいいそうです。感触が異なる物をいくつか用意するのがいいそうです。)
  • 鈴 

   

  • リボン(お好みで。私は付けませんでした。)

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使用する道具

 

布の大きさ

  • 5センチ×9センチ(『0~3歳までの実践版 モンテッソーリ教育で才能をぐんぐん伸ばす!』ではこのサイズで紹介されていましたが、小さくて作るのが大変…私は布がほつれて1つは失敗してしまいました。)

   

  • 8センチ×20センチ(作りやすい大きさ。けど、買った鈴が入らなかった!)
  • 10センチ×20センチ(鈴も入って作りやすい大きさ。でも赤ちゃんには大きすぎるかも…?)

 

下準備

使用する布を水通しし、アイロンをかけます。

必要な大きさにカットします。

 

作り方

  1. 最初は布の裏面を表にして作り始めます。ほつれ防止のために、短い辺の部分を3ミリほど折り返して縫います。

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  2.  縦半分に折り、長い辺の部分を縫い合わせます。ここがほつれると詰め物が出てきてしまうので、返し縫いでしっかり縫い合わせます。私は縫うのが苦手なので、布の端から3ミリのところに線を引いてその上を縫うようにしました。

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  3.  筒状に縫い終わったら表にひっくり返します。

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  4.  キャンディの絞りの部分を作ります。小さい布なら端から1センチくらい、大きい布なら端から4センチくらいのところをざっくりと縫います。

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  5.  端まできたら糸をぎゅっと引っ張って布を絞ります。

  6. 絞れたらそのまま糸を5回くらい巻き付け、硬く絞ります。絞った部分に針を通して玉結び→針を通して玉結び。を2回くらい行って詰め物が出てこないようにします。

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  7.  詰め物を入れます。詰め物はあまりパンパンに入れず、少し余裕がある方が握った感触を楽しめるそうです。

  8.  最後にもう片方の絞りも作って完成です。

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私の裁縫レベルは中学校の家庭科の授業止まりで、普段は取れたボタンをつけたり、雑巾を縫うくらいのことしかできませんがなんとか完成させることができました。

布や詰め物の材質を変えていろいろな触感を楽しめるようにしておくと良いそうなので、出産までに時間があればほかの種類も作ってみようと思います。

コロナウイルスで自粛の日々

コロナウイルスが流行している今日この頃。

特発性血小板減少性紫斑病(ITP)の治療のためにプレドニゾロンを内服している身としては、コロナウイルスの感染が気になります。

プレドニゾロン免疫抑制剤と呼ばれる薬剤です。ITPのように自分の体の中にある免疫機能が過剰反応して病気を発症させている場合、免疫抑制剤を服用することで免疫機能を低下させ病状を落ち着かせることができますが、それと同時に健康な時であれば防げていた感染症に罹りやすくなってしまうという副作用もあります。

これを易感染(いかんせん)と呼び、プレドニゾロンを服用する際にも特に気を付けるよう説明を受けます。

 

私は現在、仕事を休職して病院の受診や日用品の買い物以外は外出しないようにしていますが、外部との接触をゼロにするのは難しいです。特に家族との接触は避けられません。

血液内科の主治医からは「旦那さんはリモートワークになった?」と、受診する度に聞かれますがリモートワークが難しい職種で未だに通常営業しているため、聞かれる度に夫の会社のブラックっぷりを披露することになり悲しいやら情けないやらという気持ちになります。

 

今は夫婦共々なるべく外出は避け、手洗いうがいをこまめに行うようにしています。

予定日も近付いてきたので、このまま何事もなくお産までの日々を過ごせるよう自分達でできることをやっていこうと思います。

「敏感期」を知れば子供の思考がわかる

モンテッソーリ教育では子供の「敏感期」に合わせた教育を行うことを推奨しています。

一見、大人からすると子供が一心不乱にイタズラをしているように見える行動も、「敏感期」に照らし合わせてみると子供が自分の身体の動かし方や世の中の仕組みを理解しようとしていることがわかります。

「子供がなぜその行動をするのか」が理解できれば、子供のイタズラに大人がイライラすることもなくなるし、大人の都合で子供の成長機会を奪うこともなくなるので、子育てにとってこれほど有益な情報はないのではないでしょうか。

 

今回の記事では、以下の2冊の本を参考に子供の「敏感期」について紹介したいと思います。

 

お母さんの「敏感期」 モンテッソーリ教育は子を育てる、親を育てる 相良敦子

   

 

0~3歳までの実践版 モンテッソーリ教育で才能をぐんぐん伸ばす! 藤崎達宏

   

 

 

「敏感期」とは?

幼児期の子どもには、一生に一回きりの特別に敏感な感受性を発揮する「敏感期」という時期が訪れます。この「敏感期」になると、子どもは、環境から必要なものを吸収し、自分を創っていきます。その子どもの特別な感受性は、大人になるとなくなるので、大人にはしばしば理解できない奇妙な行動として目に映ります。

『お母さんの「敏感期」 モンテッソーリ教育は子を育てる、親を育てる』Kindle版 p.551

 

敏感期はすべての生き物にある特別な期間で、人間にとっても例外ではありません。人間の敏感期は幼少期の限られた期間で、世の中を理解するため、そして自分自身の身体を理解するための重要な時間なのです。

この限られた期間をどのような環境で過ごしたかによって、その後の子供の自己肯定感や積極性が変わってきます。自分を信じて新しいことにチャレンジしていく力、そういう力を養うのが敏感期だと思うと、親としてその期間にどんな環境を与えるのか、責任重大ですよね。

 

0~1歳の間にやってくる「秩序の敏感期」

0~1歳といえばまだ言葉もままならず意思疎通が難しい時期と思います。そんな時期に毎日毎日子供がなぜ泣いているのかわからない状況が続いたら、大人も泣きたくなっちゃいますよね。まだ子育てが始まっていない私ですら、想像しただけで思わず子供を放り投げて逃げ出したくなりそうです。

子供は泣くことで意思表示をしているので、まったく泣かせないまま子育てすることはできませんが、なぜ子供が泣いているのか1つでも理由がわかればお世話をする大人の心のゆとりにつながるのではないでしょうか。

 

赤ちゃんは世の中のことを何も知らずに生まれてきます。ですから、生まれて間もなくから、世の中の状況、ルールをものすごい勢いで「秩序」として吸収していきます。その吸収の仕方は、私ども大人がするような意識的な記憶の仕方とはまったく違う、「無意識的記憶」という方法です。それはあたかも、スチールカメラで一瞬にして映像にして焼きつけるような記憶の仕方です。無意識のうちにドンドン、際限なく吸収できる素晴らしい能力なのです。

しかし、映像で焼きつけるように吸収するので、その位置や順番、方法が違うだけで、赤ちゃんは許せないくらいの不快感を覚えるのです。

『0~3歳までの実践版 モンテッソーリ教育で才能をぐんぐん伸ばす!』p.59

 

赤ちゃんといえど、生まれた直後から自分が置かれた世界の状況を秩序として理解しようとしているなんて驚きですね。

赤ちゃんも日々身の回りの環境を理解しようと努めているんだ、と事前に知っていれば、その環境をなるべく変えないよう大人の方で気を付けることができます。

秩序の敏感期は、生まれて間もなく始まり、2歳をピークにして、3歳頃まで続くそうなので、我が家ではその間はなるべく部屋の模様替えをしないで済むよう子供が産まれる前に子供が過ごしやすいレイアウトに変更しておく、子供のお世話の手順(着替えやおむつ替え)を夫と統一することにしました。

 

「運動の敏感期」を知れば、子供のイタズラが成長の瞬間に変わる

運動と聞くとつい「将来アスリートにするための英才教育?」なんて思ってしまいますが、ここでいう運動とは手を使って物をつかんだり、ひねったりという動作一般のことを指しています。

運動の敏感期にいる子供は一つの動作を繰り返し繰り返し行い、その動きを自分の中で洗練させ習得するよう努めます。ただ、その動作というのが「ティッシュペーパーを箱から全部出してしまう」「リモコンやエレベーターのボタンを全部押したがる」「ソファやベッドの上で飛び跳ねる」というやり方なので、大人から見ると「イタズラしている」「落ち着きがない」と見えてしまいます。

この時、大人が運動の敏感期というものの存在を知っていれば、この子は今敏感期にいるんだ。動作を習得させるためだったらティッシュ1箱はこの子のために使おう。とか、このリモコンはイタズラされると困るから代わりに使っていないリモコンをあげよう。といった風に子供の敏感期に合わせた環境を作ることができるようになります。

もし、敏感期を知らなければ大人は来る日も来る日も子供のイタズラを止め、叱らなくてはいけないですし、子供としてもその動作を習得したいという欲求があるので、思う存分運動したいのに大人に取り上げられてしまうというフラストレーションをためていくことになります。

モンテッソーリ教育では、子供が今どんな敏感期にいるのかしっかり観察し、その動作を安全に心ゆくまで行える環境を作ることが重要とされています。

 

『0~3歳までの実践版 モンテッソーリ教育で才能をぐんぐん伸ばす!』では、運動の敏感期の中でも「歩くこと」を特に重要視しています。

「人間は脳が発達したので、手が使えるようになった」と思っている方が多いようですが、それは逆です。手を使うことで脳が発達したのです。

「わが子の頭を良くしたい!」と、親であればだれもが思うことですが、その答えは、手指をたくさん使わせることにあったのです。

手指を使っている瞬間に、わが子の脳は一番活性化し、脳神経細胞の繋がりが飛躍的に発達します。そして、その手指が自由に使えるためには、しっかりした体幹で立ち上がる必要があるのです。そして、その体幹は歩くことによって育つのです。

『0~3歳までの実践版 モンテッソーリ教育で才能をぐんぐん伸ばす!』p.122

 

多くの場合、大人にとって歩くのは移動のための「手段」の一つにすぎませんが、子供にとっては歩くことそのものが「目的」なのです。

自分の足で歩き、気になるものを見つけたらしゃがんで拾い上げ、自分の力で高いところに登ってみる。そのすべてが運動の敏感期に子供の内側からあふれる欲求です。

子供のためを思うなら、遠くのレジャーランドに連れて行ってベビーカーに乗せたまま連れ回すよりも、近所の公園で子供が自由に歩き回るのを時間の許す限り見守り続ける方が子供の成長につながるのです。

大人目線だとつい「休みの日くらいディズニーに連れて行ってあげた方が楽しいし思い出になるよね」等と考えてしまいがちですが、子供にとっては近所の公園で自分の好奇心の赴くままに歩き回る方が楽しいのですね。公園をただただ歩き回るのは大人にとってはなかなか苦痛ですが、子供の成長につながっているんだと考えて、運動の敏感期の欲求を少しでも満たしてあげたいなと思います。

 

まとめ

子供の成長とともに必ずやってくる「敏感期」を知っているのと知らないのでは、子供の成長にとっても、大人の精神衛生においてもまったく違ってくるのではないでしょうか。

私は子育てについて「いつも子供のイタズラやわがままにイライラしている」というネガティブなイメージがついていたのですが、モンテッソーリ教育を通して敏感期の存在を知ることができ、イタズラやわがままと思っていたものをポジティブに受け止められるかもな、と思えるようになりました。

実際に子育てが始まったら、そんな甘っちょろいことも言ってられないのかもしれませんが、モンテッソーリ教育の教えを通して少しでも心の余裕が持てたらいいなと思っています。

自宅ではじめられるモンテッソーリ教育の情報が盛りだくさん!『0~3歳までの実践版 モンテッソーリ教育で才能をぐんぐん伸ばす!』

私は今回はじめての妊娠で、今まで周りに小さい子供がいたこともなかったので、赤ちゃんがいる生活というのはまさに未知の世界です。

なのに急な病気による入院とコロナウイルスの流行で、申し込んでいた母親学級は軒並みキャンセル、退院した頃には外出もままならないような状況になってしまいました。

さすがに、このまま右も左もわからないまま子供を産むのはまずいのでは?!と妊娠9ヵ月にして危機感を覚え、それから育児本を読むようになりました。

ですが、情報が溢れるほどある昨今。育児本もネットで検索すると星の数ほどあり、そのすべてを実践しようと思ったらパンクしてしまいそう…

と、いうことで読んでみて「これなら私でもできそう!」「こういう育児だったら挑戦してみたい」と思えたものを備忘録を兼ねて紹介したいと思います。

 

今回の記事で紹介するのはこちらの本です。

 

『0~3歳までの実践版 モンテッソーリ教育で才能をぐんぐん伸ばす!』藤崎達宏

   

 

 

この本を読んで勉強になったところ、実践してみたいと思ったところ

  • モンテッソーリ教育は0歳から子供の自己選択を促し尊重しているところが、子供自身の考える力を伸ばせそうだと思った。
  • 同じ動作や遊びを繰り返すことは、子供の成長にとって重要なこと。しかし、大人から見るとイタズラを繰り返しているように見えてしまう。動作の繰り返しの重要性を事前に知ることで、大人はおおらかな気持ちで子供の成長を見守ることができる。
  • 大人から見て良かれと思うことが、必ずしも子供のためになるとは限らない。大人の自己満足で子供の成長の芽を潰さないよう、子供の興味・関心を観察し見守ることが一番の教育になる。

 

モンテッソーリ教育のコンセプト

どんな時代になっても「一人で生きていく本当の力」を、自分で獲得できるように、親は見守ろう。そして、一人でできるように手伝ってあげよう。

これがモンテッソーリ教育の子育てです。(p.4-5)

 

モンテッソーリ教育では、子供は「親の助けがなければ何もできない存在」ではなく、「すべてのことができるけど、物理的にできない状況下にあるか、やり方をまだ知らないだけ」という前提のもとに考えられています。

大人が子供に対してやるべきことは、子供が一人で生きていく力を身につけられるよう成長段階に合わせた環境を用意することであり、モンテッソーリ教育には成長段階ごとに子供がどんなことを学びたがっているのかという知識や、子供の学びの要求に合わせた環境の整え方のコツが詰まっています。

 私は子供に「自分のことは自分でできる子」「自分がやりたいこと、好きなことに積極的に挑戦できる子」になってほしいな、と漠然と考えていたので、モンテッソーリ教育の子供の可能性を信じるというスタンスに共感し、こういう教育をやってみたいと思うようになりました。

 

子供の「成長のサイクル」と親の関わり方

知っておきたい成長のサイクル(p.34-35)

  1. まず、子どもは今置かれている環境の中を興味・関心を持って散策します。
  2. そして、今の自分を成長させてくれる活動を自分で選択します。
  3. その活動に集中して繰り返します(集中現象)。
  4. 上達することにより、満足感と達成感を得ます。
  5. 活動がドンドン上手になり、生きていくのに必要な能力を習得します。
  6. この一連のプロセスを経ることで「自分でできた」という自己肯定感の芽が育ちます。

 

モンテッソーリ教育では、0歳から子供に自己選択をさせることを推奨しています。大人から見るとつい「こっちの方が簡単だよ」とか「子供にはまだわからないから、こちらで選んであげよう」といった気持ちが働いてしまいそうですが、子供にも意思があり「こうしてみたい」という欲求があります。そういった子供の気持ちを大切にし、自発的な活動を実行できる環境を提供することで、子供の自己肯定感を育てていきます。

 

「危ないから片づけてあげよう」「これはもう何回もやっているから代わりの活動をやらせてあげよう」「一人でやっているから、一緒にやってあげよう」「おそらくできないだろうから代わりにやってあげよう」……。

わが子のために「〇〇してあげよう!」、その思いが、実はわが子の成長を一番邪魔していたのです。

特に、子どもの欲求によく気がついてしまう「良いお母さん」は要注意です。子どもが活動する前に、その気配を察して、「これがほしかったのね!」「今度はこれがいいかな?」と、ドンドン先まわりをしてしまいます。

この習慣を続けていくと、最後は自分で選べない「指示待ち」の子どもになってしまいます。(p.41-42)

 

「自分のことは自分でできるようになってほしい」と言いながら、上記の間違った成長のサイクルで紹介されていた『わが子によかれと思って親がする行動』で紹介されていた例を読んで、ドキッとしてしまいました。私、こういうことやってしまいそうだな…と。

「子どもの行動・選択を見守る」と、口で言うのは簡単だけど、いざ子育てが始まったらつい先回りした行動をとってしまいそう。それをぐっと我慢することが大切、と子育てが始まる前に知ることができてよかったです。

 

 まとめ

  • モンテッソーリ教育は子供が自分の成長段階に合った活動ができるよう、環境を整え見守る教育。どの活動をいつから始めていつ止めるのかは子供次第。
  • 子供の集中力や自発性を尊重する一方で、大人は子供を観察し見守りに徹する必要があるので、大人の忍耐力が問われそう。
  • 子供自身が選択した活動を繰り返し行い、上達することで満足感や達成感を得られるというプロセスを通して、日本人は低いと言われている自己肯定感を0歳から育てていくことができる。

モンテッソーリ教育は、子供のやりたいことを心ゆくまでやらせてあげられる一方で、それに根気強く付き合う大人には時間と精神的な余裕が必要になりそうだな、というのが私の感想です。ただ、子供が一つ一つの動作を集中しやってみたがるのは6歳までの限られた期間(そういった期間を「敏感期」と呼ぶそうです。長くなるので別の記事で紹介します。)ということなので、その期間は「子供が自分の力を伸ばしているんだ」と割り切ってとことん付き合う覚悟ができました。

私の家は共働きで、近所にモンテッソーリ教育を行っている保育園もないので、やるとすれば家庭でモンテッソーリ教育を実践していくことになりますが、この本には0歳から3歳までの子供を対象に家で簡単に始められるモンテッソーリ教育のメソッドがたくさん紹介されているので、私もこれから少しずつ挑戦してみたいと思います。

長期入院でメンタルがやられた日

入院当初、はじめての入院の割には精神状態が安定していたように思います。

どこか痛いとか辛いと言った自覚症状もなく、赤ちゃんの発育も問題なかったこと、また自分自身医療機関で働いていた経験があったので「病院ってこういうところ」という基礎知識があったこともあり、大きな不安を感じることもなく入院生活を過ごしていました。

 
ですが、入院して4週間が経ったある日、急に落ち込んで涙が止まらなくなることがありました。

その日は、シャワーの予約枠が満杯でお風呂に入れないことが朝から確定し、数日前からの軽いめまいで頭がクラクラし、朝からついてないな、と思っていました。

私はその時、妊娠25週になっており後3週間もすれば安定期が終わってしまうことにも少なからずショックを受けていました。1人で身軽に動ける最後の時を入院に費やしてしまったことにもったいなさを感じていたんだと思います。

そして、大部屋でお隣のベットに入っていた人が私よりも後から入院して、私よりも先に退院していくことが聞こえた瞬間、急に涙が出てきてどうしようもなく悲しくなってしまいました。

ちなみに、お隣のベットの方は私とは別の病気で、特に会話もしたことがなければ接点もなく、自分でもお隣の方を意識してきたことはなかったつもりでした。

そして、これが入院中最大のストレスだったと思うのですが、毎日病棟の掃除をしてくれているある清掃員の方に顔を合わせるたびに「まだ入院続くの?大丈夫、若いから絶対良くなるわよ」と言われるのがだんだん辛くなってきて、毎日顔を合わせないようになるべく避けて通ることに苦痛を感じるようになっていました。

 
そんな、ひとつずつ書き出したら本当に些細なことばかりだったのですが、入院4週目のその日、その些細な物事に心が耐えられなくなって、朝から訳もなく泣いて過ごしていました。

周りに迷惑をかけないように、顔にタオルを当てて声を押し殺して泣いていたのですが、少し落ち着いてトイレに行ったところで顔見知りの患者さんと遭遇しました。

その方は私が入院して大部屋に入った際にお隣のベットにいた方で、1週間程度で治療が終わり退院されていたのですが、また治療のためその日から入院になったそうでした。

私よりも闘病歴がずっと長くて、でもいつも朗らかで誰にでも親切で人当たりの良い方で、私もお世話になった方でした。

お久しぶりですね、なんて挨拶をしながら、私の入院が4週間経ってまだ退院の目処も立っていないことを話すと、その方は「それは精神的にも辛いでしょう、大丈夫?」と聞いてくれて、まさに精神的に大丈夫ではなくなってしまっていた私は病棟のトイレのほとんど赤の他人と言ってもいいその方の前で号泣してしまいました。

その時、その方が私にかけてくれた「私たちにはどうすることもできないものね」という言葉が、私にとって一番の慰めでした。

家族や友人や周りの人から「大丈夫、きっと良くなるよ」「頑張れ」と言われて、私自身もそう信じて入院生活を送っていたけど、心の奥底には病気に対して自分自身の努力ではどうすることもできない無力感があったのかなと思います。

その方と僅かな時間でも話をして、どうすることもできないのは私だけじゃないんだと思ったら、少し気が楽になりました。

と言っても、すぐに切り替えられるほど器用でもないので、その日は夫にお見舞いに来てもらい、今朝の悲しい気持ちを聞いてもらい、子供の名前候補を発表し合い、普段は血糖値が上がるからと我慢しているお菓子を解禁したりして、なんとか気持ちをフラットにしようと努めました。

 

結局、私はその後さらに2週間入院し、入院6週間目でようやく退院することができました。退院した今になって振り返っても、この日が一番精神的に辛かったと思います。

「頑張れ」とか「絶対良くなるよ」という言葉は自分のメンタルが元気な時には励ましと受け取れるけど、落ち込んでいる時には追い打ちをかける言葉だな、というのを身をもって実感しました。もちろん、言った方に悪気があるわけではないのはわかってるし、自分も逆の立場だったら言ってしまいそうだな、と思うけど。

 

ありがたいことに、入院中たくさんの友達から励ましの連絡をもらいましたが、その中でも本当にうれしかったのは、仕事帰りの電車から何気ない近状や笑い話を聞かせてくれたり、Twitterでしょうもないやりとりをしてくれる友達の存在でした。

「頑張れ」って言葉にしなくても、私のことを心配して励まそうとしてくれているのを感じていました。

 

今回の入院を通じてわかったことは、病気になった本人はどんなに表面上元気そうに見えたとしても心の中に無力感を感じている可能性があるということ。そして、そういう人を励ましたいと思うのなら、無責任な「頑張れ」よりこれまでと変わらない関係や楽しみを共有することが一番の励ましになるということでした。

長期入院は本当に大変な経験でしたが、元気だった時には気付かなかった人の優しさに触れた瞬間でもありました。今後、私の周りでも同じような状況に置かれた人がいたら、私が出会った患者さんや友達のような気遣いができるようになれたらいいなと思います。